
12月25日はイエス・キリストの誕生日ではない。ニカイア公会議(325CE)の後、336CE頃にローマ教会によって降誕祭の日程として採用されたものである。
誕生日は、聖書には明確に記載されていないが、いくつかの記述から推定することは可能である。
【1】マタイの福音書の記述
マタイによると「イエスはヘロデ王の代にベツレヘムで生まれた」とある。ヘロデ王の在位期間は、37BCEごろ~4BCE である。すなわち、誕生日は「4BCE以前である(A)」。
【2】ルカの福音書の記述
ルカによると「羊飼いたちが夜通し、野原で羊の番をしていたところへ天使が現れ、救い主の誕生を告げた」、つまり、誕生は羊の放牧期間中かつ夜間の出来事であった。ベツレヘムは標高750mにあり日没後は冷え込むため、夜間の放牧は「春から秋、4月中旬から10月中旬(B)」に行われていたと考えられる。
【3】マタイの福音書でのベツレヘムの星に関する記述
マタイによると、東方の三博士は「特別な星が東の国から見えた」、「星が先立って進み、幼子のいる場所の上に止まった」、「家に入ると、母マリアと共にいる幼子がいた」と述べている。
整理すると、三博士は星を見てイエスの誕生を知り、次に、星に導かれて進んだところ、「馬小屋(”manger”, KJV/Luke)」ではなく「家(”house”, KJV/Matthew)」の中にいるイエスに会った、と考えられる。宿が確保できず馬小屋で出産したマリアたちは、その後ベツレヘムで住居を確保して一定期間生活していた可能性があり、「幼子(”young child”, KJV/Matthew)」という表現から、三博士が会ったのは出産直後の「乳幼児(”babe”, KJV/Luke)」ではないことも推察される。
[注] KJV: King James Version(欽定訳聖書)
【4】ベツレヘムの星の推定
三博士は占星術師と考えられ、占星術では「王の誕生時に特別な星が現れる」とされている。先ず、超新星、(上記絵画にも描かれている)彗星などが考えられる。
ヘロデ王在位期間に超新星と考えられる記録は、治世最後の4BCEに1件あるが、王が死んだのが3月~4月で、星が見えたのが4月~5月であるので、候補である可能性は低い。
明るく見えた彗星としては、12BCEのハレー彗星があるが生誕年としては古過ぎる。もう一件5BCEにも彗星が確認されているが、見えた期間が3月~4月であり季節的に合わない。
最も有力な候補は、7BCEに起きた「木星と土星の三重会合」である。会合現象(接近現象)は20年ごとに見られるが、多重会合(年に複数回接近)の間隔は180~200年ごとであるため、2回続いた会合は「特別な星」と整合する。会合時には、惑星の逆行現象(通常、日ごとに西へ進む惑星が、いったん止まり、東へ戻り、再度西へ進む現象)が見られる。これは、マタイの福音書の「星が、進み、止まった」とも整合性が高い。
天文計算による三重会合の日は、5月29日, 9月30日, 12月5日(ユリウス暦)、である。更に、あえて「東の国から見えた」と記述しているので、「西の方角に見えた」と考えらえる。イラン西部地域(古代ペルシャ)から三重会合が見えた方角は、南西ないし西、である。
東方の三博士は、先ず「5月29日の星を見て王の誕生を知り(C)」、ヘロデ王の指示により出発し、9月30日の再び現れた「特別な星」を見ながら西へ進み、星が止まったころに生後4か月程度のイエスに会った、と考えられる。
【5】結論(イエスの誕生日)
上記(A)(B)(C)から、イエスの誕生日は「紀元前7年5月29日(グレゴリオ暦5月27日)」付近が有力である。
